元夫の浮気【1】

3月 30th, 2014

“浮気をする人は、どんな状況でもするものです。
私の元旦那は配送業者に勤めていました。
朝早くから夜遅くまでの仕事で、肉体的には大変負担がかかる仕事。
これを彼が一生懸命してくれるから、私と息子は生活が出来るのだと、いつも感謝していました。
彼との出会いも、当時の配送ルートに私の職場があったことがキッカケ。
婚活中だった私は、彼が食事に誘ってくれたこの機会を逃さない!そんな心意気で臨んだんですよ。
そして交際後、結婚に至ったのです。
「ずっと君だけが気になっていた」という言葉を信じて。。。

そんな彼が私が長女の出産を境に、浮気をするようになりました。
最初に発見したのは、配送ルートに自宅があった頃です。
配送途中で家に戻り、トイレに行ったりおにぎりを持って出たりすることが常でした。
ふとなにか気になって彼のトラックの荷台を覗いたのです。
荷台で使用済み避妊具の空を見つけたときの衝撃。
頭に変な汗がにじむというか、言葉では言い表せません。
家の中から戻ってきた夫に、すぐには話しませんでした。
事故が心配ですから。
とにかく今日帰ってきてからにしようと、その空をそのままにしておきました。

その日の夜、夫を問い詰めると相手は配送ルートにあるショッピングモールの従業員さんだとか。
会う暇も金もないから、配送途中でササッと荷台で済ませるのだとか。
「ササッと」って!!それ怖いわ!
それを勧めるアンタも怖いが、それをOKする女も怖いって!
「そんなことないよ、相手だってシタいんだから。」
夫はもともとノンキな人間ではありましたが、受け答えはふてぶてしい態度ではない。
「反省が足りない子供」を相手にしているような気分です。
「しょうがないじゃないかぁ。俺が相手にしないんじゃないよ、お前が相手にしないんだ。」
いや、どうでしょう。。。家でだって週二回はお相手しています。
それがこの人にとって足りないのか、おざなりで義務を果たしていたのか。
それはわかりません。
ただ、体力的にそれ以上は私も無理ですし、こんなことがあった後はなんか汚いというかなんというか。
私にこれ以降相手をするだけの度量があるのか、それもわかりません。
こっちが言いたいことを言っても、暖簾に腕押し。
咬み合わないままにその女と手を切ることだけは約束させ、その日は終わりました。
ただし、いくら一緒に寝ると言われてもそんな気分にはならず、夫をリビングのソファーで寝させることにしましたが。

次の日から私の行動は今考えても異常になりました。
彼が会社に行った後
子供を車の後部座席に寝かせ、彼の車が会社のホーム(出社後今日の荷物を車に載せる作業をしてから出発しますので、出社から配送ルートへの出発までに2時間ほどのタイムラグがあります。)を出るのを待って、後ろから付けて回ったのです。
何台か後を陣取るのですが、夫の車が大きいので見失うことはありません。
こうやって何日間か探偵のようなことをして、私はとうとう浮気に現場を掴みました。
驚いたことに、それはまた別の女性でした。
その足で夫の会社に行き、彼の上司に「夫の配送ルートを変更して欲しい!」そう喚き散らしたのです。
上司は私の勢いに押され、その件を承知してくれました。
大会社ですが、そういうところはアットホームですね。
その日彼をまた締め上げ「二度としない」ということを約束させました。
しばらく一緒に寝ない宣言もして。”

年上の前夫【2】

3月 27th, 2014

そこからが大変だったのです。
何から何まで手がかかる夫。
それでも「ありがとう」のヒトコトがあれば報われるものでしょう。
夫からそれを聞くことはありませんでした。
むしろ私を召使のように扱い、八つ当たりしました。
それに元気な頃には考えられないような行動を取るのです。
新興宗教にハマってみたり、イカガワシイ健康食品にも手を出していました。
いくら子供扱いされて不満があったとは言え、夫の威厳ある姿には、いつも惚れ惚れしていました。
そんなところも無くなってしまったのです。

介護のために結婚したようなものだ。。。
そういう思いが頭をもたげました。
そんなふうに考えてはいけない。。。夫は辛い思いをしているのだ。
なんどもそう思おうとしました。
しかしこの13年間を振り返っても、楽しいと思える思い出が余り無いのです。
「幸せ貯金」というのでしょうか。
何か苦しいことがあったときに、恋人時代や新婚時代の楽しかったことを思い出しては「もう一度頑張ろう」と奮い立たすものだと友人から聞いたことがありました。
それが私と夫にはないのです。
私は幸せ貯金の残高がないまま、ずっと走り続けていたのです。

息子はそんな私を理解していました。
「お父さんを捨ててもいいよ。誰が責めても僕はお母さんを責めないよ。」
離婚して新しい生活をするのもいいと思う、息子はそういうのです。
中学生なのに、そんな風に言って来るだなんて。
かなり悩んだのでしょう。
ただ母親が苦労をする姿を見たくないという気持ちが先立ったものだと思われます。
「お父さんには全部のお金を残してしていけば、お世話は誰かがしてくれるよ。お母さんに人生は一度きりだ。」
息子は泣いて頼んだ自分の言うことをきこうともせず、結果病に倒れた父親を、少なからず恨んでいました。
自分のことなど愛していないのだと思い込んでいました。
それは違うとなんども言いましたが、「そうとは思えないよ」と傷ついています。
このままではいけない。
修復するまで一緒に居なければ。。。そうも考えましたし、一緒に居ないほうがいいのかもしれない、そうも考えました。
答えは出ません。

私も悩みました。
ここで夫を捨てれば私はヒトデナシになってしまうのではないかしら。。。そうも思いました。
でも人生は一度っきり。。。そして決断したのです。

私の離婚の決断に対して夫は「勝手にしろ」と言っただけでした。
ここで「ありがとう」などと言われたら、きっと思い直したはずですが、その言葉を聞くことは出来ませんでした。

金銭的には確かに苦労ですが、とても充実した日々を送っています。
息子はしょっちゅう父親に会いに行っています。
それはそれでいいと思っています。
そうやって少しずつ修復できたらいいのです。

離婚で呪縛から解き放たれたような気分です。
再婚のために婚活を!などということは、今は考えられませんが。

年上の前夫【1】

3月 25th, 2014

私の離婚を「ヒトデナシ」と言う人もいるでしょう。
もし私が傍で聞く立場であれば、そう思ったかも知れません。
夫は15才年上。
私が33才の時に結婚しました。
婚活を続けていましたが、これといった成果も得られないまま30を過ぎていました。
そんな時に取引先のバイヤーである夫と出会ったのです。
当時夫は45才。
落ち着いた雰囲気に私は惹かれました。
今までの恋愛は、私の好みでしょうが、全て不倫でした。
一回りも違えばほとんとの方が妻帯者ですものね。
だからといって奪い取るような根性があるわけもなく、相手の幸せを願って身を引くということで幕は下りていました。

夫はバツイチ、離婚後半年経っていたでした。
そうであれば何の支障もありません。
私は彼を慕い、かれも私を愛くしんでくれました。
そうして2年の交際の後、結婚をしました。
その時の私は「私なんかが結婚できるだなんて」と夢をみるような気持ちでいたのです。

確かに生活には苦労させられることはありませんでした。
しかし夫は私を子供扱いというか。。。意見を聞いてくれないのです。
何を言っても「黙っていろ」と叱られるばかり。
いくら生活に苦労がないといえ、私は妻ですから意見ぐらい聞いてくれてもいいはずです。
馬鹿にしているのかしら。。。と、不満が募っていきました。
それでも一人息子が生まれ、私は幸せでした。

結婚12年目の初夏、むすこが11才の年でした。
夫は脳梗塞で倒れたのです。
勤め先の健康診断の所見に再検査とあったのにもかかわらず、夫は病院に行くことを拒みました。
息子は泣いて病院に行ってくれるよう頼んだのですよ。
それも聞き入れませんでした。
その挙句に倒れたのです。
丁度休みの日で、家のお風呂場での出来事でした。
私が発見し、救急車を呼んで担ぎ込んでもらいました。

半年の入院。。。。
命があったことを、息子と二人、心から喜びました。
しかし、発券が遅れたことが災いし、右半身の麻痺と言語障害が残りました。
そんな自分にイラつくのでしょう。
横暴な態度や私に対する感謝の無さが目立ちます。
それでも病院に入院していてくれる間は、私が一息つく時間もありました。
病院も昨今、いつまでも居させてはくれません。
退院の日がとうとうやってきました。

立会い出産【2】

3月 22nd, 2014

妻は子供が保育園に入れるようになったのを期に、外で働くようになりました。
それからしばらくしてからでした。
妻の様子がおかしいと感じる日が度々あるようになったのです。
すこし派手な化粧をしているのは、外にでるから仕方ないにしても、なぜ下着の好みまで変わるのでしょう。
それに私に対する関心が、全く無くなっていました。
それでも子どもの世話はちゃんとしますし、ご飯なども作ってはくれています。
実質生活の中で困ることはありませんでした。
ある夜、寝ている私に妻がサインを送ってきましたが、私は寝ているふりをしてやり過ごしました。
妻は泣いているようでした。
心のなかですまないと言うしかありませんでした。

ある日話があると妻から言われました。
結婚して6年目です。
子供は4才になっていました。
「離婚したい」そう妻ははっきり言いました。
「私をほったらかしにしてもう4年。耐えられない。」
妻に男ができたというのには気がついていました。
それも仕方がないと思っていたのです。
私が妻を愛していないのかというと、それは違う。
私は愛していました。
ただ女性として扱うことが出来なくなった、それだけのことです。
肉体的な病気かもしれないと、病院にまで行ったのです。
しかしダメでした。
「精神的なものだから、時間が建てばなんとかなるだろう。環境が変わるのも良いでしょう。」
そう医者からは言われ、試しにそういう店に行くと、たしかに私は普通の男でした。
妻だから駄目だったのです。

「男ができたのか?」
やっとの思いで私は妻に聞きました。
妻は一瞬言葉を飲みましたが「そうよ。その人と結婚したいと思っている。向こうも子どもがいるから一緒でいいと言ってくれている。」と答えました。
決意をした妻の顔は、とても美しく見えました。
この時私は36才、妻は33才です。
まだ彼女は若い。
もっと愛されていいはずです。
私はそれを阻止するだけの力はありません。
ただ「わかった」というしかありませんでした。

これが私の離婚です。
子供には時々会えますが、近頃「主人があまりイイ顔をしないので会うのを控えて欲しい」そういわれ、それも了解しました。
彼女は愛されているのでしょうね、綺麗になりました。

私はそういう事に特別弱かったからいけなかったのかもしれません。

これはこれから結婚するであろう女性に助言です。
男性側が嫌がるときは、立会い出産を強要しないでしほしい。
そんなモノがなくとも、男は徐々に父として成長していくものです。
母と同じような痛みを共有しなければ、親になれないというものではない。
成り立ち方が母親とは違うだけなのです。
それを望む男ならばいいのですが。。。。
一緒に60年近くを幸せに過ごしていきたいと望むならば、立会い出産をもう一度考え直してみてください。

私はそれがなければ今でも妻と共に。。。いえ、元妻ですね。。。元妻と共に歩んでいたと思うのです。

立会い出産【1】

3月 17th, 2014

妻を女性として見れないということは、夫側にとっても苦痛なものです。
妻をずっと愛し続けることが出来れば、それが一番幸せなのです。せっかく結婚したのだから。
モテる男性ならいいですよ。
肉体関係だけでいいならば、嫁さんの代わりはたくさんいるでしょうから。
私は器用でもありませんし、男前でもない。
モテた試しなど一度もありません。
私が嫁さん以外とセックスをしようとすれば、お金を使うしかありません。
とはいってもそれほど小遣いを持たされていませんでしたけどね。

女性というのは身体と心が直結しているようで、肉体で愛情を計ることをしているようです。
そういう行為が夫婦間でなくなってしまうと、途端に妻は荒れてきます。
妻の名誉のために言いますが、特別好色な女というのではないのですよ。
考えても見てください。
私は自分から妻を誘うことはありませんし、妻が一生懸命その気にしようと努めても、私は全く反応しない。
これは男の私が考えてもかわいそうです。
さぞ「自分に魅力がないのだろうか」などと考え、辛い思いをしたことでしょう。
しかしどうしょうもなかった。
女性とは体の構造が違います。
胡麻化しようがない。。。

こんなになってしまったのは、立会い出産が悪いのです。
妻は出産に際し、私の立会を望みました。
私は嫌がったのですよ。
自分の採血でも気が遠くなりそうなのに、出産に立ち会うだなんて!
そういって妻を説得し懇願もしました。
しかし妻は頑として引かない。
仕方なく私は立ち合うことを承諾したのです。

出産は壮絶です。
生命の誕生を目の辺りにし、父としての自覚を持つという人もいるでしょう。
しかし私はそう思えなかった。
私が愛した妻の場所が切れんばかりに広がって、そこから動く小さなものが出てきた。
妻は鬼のような形相で臨んでいます。
ああ、思い出すだけでひっくり返りそうです。
私は妻のその姿が頭から離れないのです。
それからいくら努力をしても、妻に体が反応しなくなってしまったのです。
ピクリともしません。

子どもが小さかった頃は良かった。
妻も赤ちゃんの世話に追われ、そういう気持ちになりにくかったのでしょう。
授乳時期を過ぎると、妻は私に対して要求するようになりました。
私だって応えてあげたい!
長らくそういう事がなければ、私だって男ですからその気にもなろうものです。
でもいざ妻を目の前にすると全くでした。

紹介による結婚【3】

3月 12th, 2014

次の日私は死を覚悟し、5階の家のベランダから下の階の人の家に、カーテンで作ったロープを使って飛び移りました。
隣の家は構造的に無理だったのです。
「泥棒!」そう叫ぶその部屋の住民に「お願いです。私の両親と警察に連絡してください!」とお願いました。
その住民も察しの良い人で助かりました。
髪の毛が半分焼けて仕舞っている私をソファーに座らせ、電話を入れて下さいました。

それからは本当に家族が一丸となって、相手の家族と戦いました。
たかだか離婚なのですが、相手は私からお金をとろうと必死でしたし、なにしろ短期間の離婚が2回も続けば、あまりに体裁が悪い。
傷害罪と殺人未遂で相手を訴えた父は、ほんとうによく頑張ってくれました。
相手から離婚を勝ち取ることは勿論ですが、なによりも「何らかの社会的制裁を受けるべきだ」と父は考えていました。

何もかも終わって、ふと親友が言ってくれた言葉を思い出していました。
彼をよく言わない親友に、私がへそを曲げて疎遠になっていたのです。
電話をかけ、事の次第を話した私に、彼女は泣いてくれました。
彼を私に紹介した看護師さんは彼と通じていました。
始めから私を二人して利用するつもりだったのでしょうか。。。
同性からの紹介には警戒をしなければならない、そう話して下さったのは父が願いしていた探偵さんでした。
弁護士さん、探偵さん、父はありとあらゆる手を使って、私を守ろうとしてくれたのです。
「人に紹介するというのは大変気を使うものですし、それを簡単に出来る人には気をつけたほうがいい。
特に同性というのはヤッカミが心の底にある場合も多いものですから。。。
良い男であれば、自分のものにするはずでしょ?」
そう聞かされ、私には全くない認識で。。。愕然としました。

「ねぇ、お見合いでもしない?いろいろ話来てるわよ。」
母が近頃はそう言ってきてくれます。
お見合いはちょっとまだ怖い気がします。
それも紹介ですものね。。。
勤めも再開し、充実した毎日です。
そんな中で「婚活はそろそろ始めてもいいかな。。。」と思いはじめています。
喉元過ぎれば熱さ忘れるってのでもないのですよ。
ただこの離婚の経験から、ちょっとは賢くなったのではないかと感じているのですが。
どうでしょうね。

紹介による結婚【2】

3月 7th, 2014

結婚しようといってくれた彼に、私は喜んでお受けすると答えました。
私が34才、三つ年上の彼は38才でした。
あちらのお父様は大きなスポーツ用品の会社の重役。
お母様も旧家族かなにかの末裔で、私を「息子の嫁にふさわしい」と言ってくださいました。
前のお嫁さんのことを引き合いにだし、ご夫婦でそうお話しくださったのです。
なにか優越感を覚え、前の奥さんに勝ったような気分になっていました。
私ほうは初婚でしたから、気にしないほうが珍しいでしょ?

彼が大変嫉妬心が強い人間だということが、結婚してからわかりました。
私の行動全てを把握していなければ、不機嫌になり物にあたります。
ええ、初めは物にあたっていたのです。
それが3ヶ月経ったあたりでしょうか。
一度私を突き飛ばしたことがありました。
それから何かのタガが外れたというか。。。DVと言えるものになっていったのです。
殴る蹴るの暴行は、身体のみならず顔に対しても行います。
私は勤め先の病院に、顔を腫らしたまま出勤せねばなりませんでした。
それがオカシイことだと夫も気がついたのでしょう。
顔に傷をつけてしまった日は、丁寧な電話を病院に掛け、私を休ませたりし始めました。
病院は、そんなに都度都度休める職場ではありません。
人の命を預かっている場所です。
私はアテにならない医師として、勤めをやめざる得なくなりました。

監禁状態です。
家から出ることも許されませんでした。
マンションの5階に二人で住んでいましたが、ダブルロックにしていました。
ひとつは通常の鍵。
もうひとつは外から掛けると内側からは開かない仕組みのものでした。
それでも「愛されているからこういう束縛を受けるのだ。。。」そう思い込んでいたのは、DVを受ける人の陥りやすい精神状態ですね。。。
今考えると分かることが多いのです。。。
私の精神状態は、明らかに常軌を逸していました。

いつものようにちょっとしたことからまた彼のDVが始まりました。
しかしその日の凶暴性はいつもより激しく、私はストーブに放り込まれるような格好で投げ出されました。
化繊のセーターではなかったのが幸いです。
「殺される!」その時ばかりはさすがの私もそう感じました。
このままでは殺される!
なんとか彼から逃げ出さなければ!

紹介による結婚【1】

3月 2nd, 2014

自前の婚活で色々と失敗していました。
私は女医ですから、社会的にもステイタスが高いということは判っています。
それが嫌で。。。というか、「やっぱりね」と言われるのを嫌い、同業者はまず頭から排除。
自分よりも学歴が低かったりする男性を、好んで選んでいました。
こういうとちょっと角が立ちますね。
要するに「学歴や職業で人を判断していない」ということを示したかったのです。
今考えれば、そのことばかり考えていたようにも思います。
高学歴の人の中にも良い人はいますし、反対にそうじゃない人にもいい人悪い人両方存在しますものね。
「心から好きになった人がどういう人であれ」というのが美しいのであって、それを始めから望むというのは甚だおかしな話です。

出入りの製薬会社の営業マンが主催した合コンで出会った、5つ年下の男と付き合いました。
主催の製薬会社に勤めていました。
私は「お医者さんなのに普通の男と付き合ってる」という自分を愛おしく思っていました。
相手は「医者の女と付き合っている。しかも言いなりだ。」といい気分だったでしょう。
付き合ってる当時はそんな事気が付きもしませんでしたが、別れた後では下世話な話が耳に入ります。
彼がそう吹聴していたということでした。
はじめはクールに振舞っていたつもりでしたが、段々と相手を束縛するように私がなっていました。
なにもかも私がお金は出していましたし、足りないと言われれば融通もしていました。
それでも行き先がわからない夜など心配になり、電話をなんどもかけたりメールをしたり。。。
次の日には「何をしていたの!」と彼を追い詰めていました。

彼はとうとうそんな私を「メンドクサイ」と言い出し、別れを切り出されました。
「女ができたんだ!若い女にうつつを抜かしたんだ!」そんな事しか思いつきませんでした。
実際は本当に私のことがめんどくさくなったのでしょう。
はじめは干渉しないような顔をしておいて、実際は干渉ばかりしていました。

そんな恋愛でも私は一応に傷つき、その寂しさを紛らわすために合コンに入り浸りました。
そんな時に看護師の女の子から「いちおし!」と一人の男の人を合コンで紹介されたのが夫との出会いです。
郵便局の生命保険を売る係の彼。
雑学に長けた人で、世間知らずの私は彼の話に聞き入りました。
すぐに交際は始まりました。
バツイチの彼ですが、相手の女の人の浪費癖や貞操観念の無さを聞けば、3ヶ月の離婚もうなずけました。
親友に話すと「相手の女のことをそんな風にいうのが信用ならない」そう言われました。
その言葉を「きっと羨んでいるのだ」と変な受け取り方をして聞き流しました。
彼女はモテる人でしたから、なにも羨ましがる要因などないことは、少し考えれば私も判ったはずなのに。
私にはそれほど素敵な男性に見えていたのです。

見抜けなかった私【3】

2月 28th, 2014

寝付くことも出来なかった私に次の日の朝彼は「また猫もらいに行こう!」そう言ったのです。
「いつかアンタが殺されるよ」そういった弟の言葉を思い出していました。
結婚しようと私に言ったときの彼の執着は、ただ離れていこうとするものに対して執着を見せただけ。
愛ではなかったのでしょう。
自分のおもちゃが気に入らなくなれば、このような形で排除するのです。
そして「また仔猫を貰ってこよう」などと言い出す。
この人は表現が下手などという生易しいもんじゃない。
人としての心が欠けているのだ。。。そのことにようやく気がついたのです。
結婚して2年目にようやくです。
中絶を望んだのも、そういう心の持ちようから生まれたものだったのでしょう。
自分に責任がかかってくる恐怖と、命に代わりがあるような考え方。
私はバカでした。

その日のうちにとりあえずの荷物を抱え、私は実家に戻りました。
彼は気の小さな人間ですから、私の実家には来ることはないでしょう。
父や母とはもちろん、気が強い弟ともまともに話したり出来ないのです。
電話で出ていったわけは話しました。
「理解が出来ない。悪いのはあの猫のほうだ。」と言い続けるのです。
背筋がぞっとしました。

あちらのお母様が出てきて、うちの両親と話をしました。
「逃げれば解決すると思っている御宅のお嬢さんがオカシイ」と言われましたっけ。
両親は「これはまともに話など出来ないぞ!」と感じ、「おかしかろうがどうでもいいから離婚届にサインをしろ」と押し続けてくれました。
そうやって離婚できたのです。

人の目がない結婚というのは、とても危険なものですね。
付き合っていた当時から、彼は人前に出ることを嫌いましたし、私を自分の知り合いに紹介することも嫌っていました。
「どうしてアンタはオカシナ人だと気がついたの?」と弟に訊くと「人の目を見て話さないから。それだけのこと。」と単純な答えしか言いません。
それでも弟は問題の根幹を掴んではいました。
人様と接するところをもっと見る機会があったならば、私でも気がついたのかも知れません。

今、いろんな婚活の出会い方がありますよね。
たくさんの人の中で見極められる、そういう婚活がいいように思います。
人の目があるということは、きっと大切なのです。

見抜けなかった私【2】

2月 23rd, 2014

ある日、知人の家に猫が生まれたので飼わないか?そんな話が舞い込みました。
人を愛することが苦手な人と、彼の事を感じていましたから、猫を買うということは良いことなのではないか、私はそう考えました。
慈しむ心は今からだって育つはず!そう思えたのです。
彼はお母様からの言いつけで、生き物を飼ってはいけないと言われ育ったそうです。
めんどくさいし汚いからという理由で。
そういう事が彼の心の在り様に、深く起因していたのでしょう。
知人宅におじゃまして仔猫をそっと不器用に抱き上げる彼の顔が柔らかく綻ぶのが、私も嬉しかった。。。
まだ彼を愛していたのでしょう。
迷いに迷って、彼はキジ柄の猫を貰って帰ることにしました。
靴下の中に仔猫をいれてその口を縛ったり、首をそっと絞めたり、少し可愛がり方がオカシイとは感じていました。
でも愛情の表現方法が解らないのだろう、その程度に受け取ることにしていました。
悪びれなく「見て見て!猫手毬!」などというのですから、いじめるつもりはないのです。
注意はしても、諌めるとまではしていませんでした。
そんな様子を遊びに来た弟は「あの人おかしいよ。いまにあんた、殺されるんじゃない?」などと言いますが、暴力を振るわれたことはありません。
「そんなことあるはず無いじゃない」と笑ってすませたのです。
弟は「いつか俺の言葉を思い出す日が来るよ。」そんな意味深なことを言いましたっけ。

猫も5ヶ月建てば大きくなりますし、自我も強くなります。
猫は彼の言うことを全く利かなくなりました。
どちらかというと嫌っていたのです。
彼が帰る前は家の中でくつろいでいますが、彼の帰宅後はどこかに隠れてしまいます。
そんなある日、彼と私は口論になりました。
大したことではなかったのでしょう、内容は忘れてしまいました。
その激しい口論に、猫はどこからともなくやって来て私の傍らに付くと、彼に対して威嚇をしたのです。
彼は「なまいきな!」と猫を叩きました。
猫はその手に噛み付き、痛さでひっくり返った彼の顔を爪で引っかきました。
私の味方をしたのでしょう。
その猫の眉間を、彼は起き上がるとこぶしで殴りつけました。
眉間は猫にとっても打ってはいけない場所です。
骨が折れるような音が聞こえました。
猫は飛び上がって猛スピードで窓の隙間から外に飛び出していってしまいました。
それを責めた私を突き飛ばし、彼は自分の部屋に入って出てきませんでした。

何日も探し続けましたが、猫を見つけることは出来ませんでした。
彼はそんなこと気にもとめてない様子で、毎日の生活を送っています。
ある日の夜、彼も部屋に入って寝てしまった後です。
外で猫の鳴き声がします。
そっとサッシを開けると、庭にあの猫がいたのです。
すっかり汚れていましたが、確かにうちの猫です。
私に会いに戻ってくれたのだと、私は抱き上げて再会を喜びました。
「どこに行ってたの?探したのよ!」そんなことを会話しながら、ふとお腹が空いているであろうことに気が付きました。
「家に入る?それともここにいる?」猫に訊くと動きません。
彼がいるから警戒しているのでしょう。
「待っていて。すぐなにか持ってくるから。」そう言い残して私は台所の方に向かいました。

庭から「ぎゃぁ!」という猫の鳴き声がしました。
私はその声に不安を感じ庭を見に行くと、そこには猫を撲殺した彼の姿があったのです。
バールで殴り殺していました。
ここからは。。。ごめんなさい。。。省略させてくださいね。
今でも涙が止まらないのです。

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